
「祇園祭」真っ只中の京都。
至る所でお囃子の音が聞こえます。
今年建てられる山鉾の一部をご紹介します。
和装で行きたい舞台や展示も併せてご紹介!
山鉾(2021年巡行中止)
祇園祭については前回のでご紹介しましたが、今回は「山鉾」について掘り下げたいと思います。
山鉾は毎年中京・下京の各町で建てられ、7/17と7/24に巡行します。(この数年はコロナの影響で中止)
祇園祭には前祭りと後祭りがあり、
●前祭りは7/10~7/14に山鉾を建て、7/14~7/16に提灯に火が入り祇園囃子と共に盛り上がります。(例年は23基建ちますが、今年は12の山鉾が建ちます。)
7/17に山鉾が巡行し、夜には3基の御神輿が出ます。
●後祭りは、7/18~7/21に山鉾を建て、7/21~7/23に前祭り同様に提灯に火を入れます。(例年は11基ですが、今年は6の山鉾のみ)
7/24に山鉾が巡行し、前祭り同様夜には御神輿が出ます。
7/24の山鉾巡行後は、花傘巡行も行われます。
花傘巡行は、花が飾られた傘鉾や女人列、鷺踊など約1000人の行列が都大路を巡行します。
「山鉾」って何?
山鉾は疫病など災厄をもたらす疫神を鎮める神霊の依り代になります。
形状から鉾、船鉾、傘山、曳山、舁山、に分類されます。
祇園祭は一度、応仁の乱で途絶えましたが、1500年に町衆の手で再興されました。
以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになり、これらの豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれています。
鉾
鉾は神霊の依代となる真木を立て、車輪が取り付けられています。
有名なところで言えば、前祭の長刀鉾・函谷鉾・鶏鉾・月鉾・菊水鉾・放下鉾があります。
船鉾
船鉾は名前の通り船の形をしています。
ただ鉾と違って真木がありません。
船鉾には鉾と同じように祇園囃子を奏でる囃子方など乗ることが出来ます。
前祭の船鉾と、後祭の大船鉾があります。
曳山
真松を立て、鉾と同じ大きさの車と屋根を付けた山になります。
形態は鉾と同じですが、真木が松の木になります。
こちらも囃子方などが搭乗できます。
前祭の岩戸山、後祭の北観音山・南観音山があります。
傘山
傘鉾は室町時代に流行した風流の拍子物の系譜を伝える古い形態の鉾とも言われています。
前祭の綾傘鉾、四条傘鉾があります。
舁山
舁山は山に見立て、真松(もしくは真杉)を立て、日本・中国の故事・謡曲などの一場面を表現しています。
曳山と同じように真松を建てますが、舁山は屋根がありません。
北観音山 南観音山 (曳山)
北観音山

"上り観音山"とも言われ後祭の先頭を巡行し(現在は2番目)、山の上には楊柳観音像と韋駄天立像を安置しています。
もともと舁山であった物を、後に曳山に改められました。
松の枝に尾長鳥を付けます。
この松は、山建ての前に京都市西部の鳴滝から南観音山の松と2本セットで運ばれ、毎年7月19日に行われる「松取式」のくじでどちらの松を建てるか決めるそうです。
くじで勝った山は「良い松を選べた。」、くじで負けた山は「良い松を残してもらった。」と言うことが慣例になっています。
北観音山は応仁の乱の頃から南観音山と一年交代で山鉾巡行していたが、明治時代から毎年巡行するようになりました。
諸病を治してくれる楊柳観音に因み、後ろから垂らしている柳の大枝は、巡行後に厄除けのお守りとして町内に授与されます。
南観音山

段通は絨毯の意。
北観音山の"上り観音山"に対して、"下り観音山"とも言われ、江戸時代には北観音山と隔年交代で祇園祭の山鉾巡行に参加していました。
南観音山の本尊・楊柳観音と脇侍の善財童子がお祀りされており、巡行には北観音山と同様に柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉を付けます。
屋根の上に建つ真松の枝に鳩がとまっています。
また、宵山の23日深夜に楊柳観音像を布で包み、蓮台に載せて町内を駆け回る「あばれ観音」という神事が行われます。
大船鉾 (船鉾)

神功皇后の新羅出船に由来し、船鉾(前祭り)が「出陣」を表すのに対し、大船鉾は戦を終えて戻る「凱旋」の場面を表します。
応仁の乱以前から存在する歴史の古い鉾です。
ご神体は神功皇后の神面。
安産と厄除けのご利益があります。
幕末の蛤御門の変で焼失してから、142年ぶりに平成26年から巡行に加わることが出来ました。
鯉山 (舁山)

山の中で唯一、人物ではなく魚をテーマにしています。
竜門の滝を上る鯉は竜になるという「登竜門」の故事に由来し、木製の鯉が勢い良く水しぶきを上げる様を表しています。
立身出世のご利益があるそうです。
鯉は左甚五郎作と言われています。
左甚五郎とは…
八幡山 (舁山)

石清水八幡宮が祀られています。
八坂神社のお祭りなのに、別の神様というのも面白いですね。
八幡信仰は武士に篤かった為、祇園祭にも取り入れられたのではと言われています。
鳥居の笠木の上には、向かい合った鳩が2羽(八幡神のシンボル)飾られています。
こちらも左甚五郎作と伝えられています。
役行者山 (舁山)

役行者(修験道の祖)は庶民の中に入って医療などに努めた僧で、古くから民衆に人気がありました。
ご神体は役行者・鬼の顔の一言主神・葛城神の三体です。
安産・交通安全・疫病除けのご利益があります。
イベント
京都文化博物館「花開く 町衆文化」-近世京都のすがた- ~7/25まで
岩佐又兵衛筆「誓願寺門前図屏風」は、国宝「洛中洛外図屏風」と共に、又兵衛作の都市風俗画の重要作例です。
2015年からの解体修理が終わり、完成しました。
併せてこの屏風が描かれた江戸時代の京都と、そこに息づく人々の姿が豊富な資料から垣間見ることが出来ます。
江戸時代の着物や帯結び、髪形など当時の資料でチェックしてみましょう。
南座 「坂東玉三郎 特別舞踊公演」 7/24~7/28
五代目 坂東玉三郎(屋号・大和屋)
1950年生まれ。
1964年に5代目 坂東玉三郎を襲名。
2012年 人間国宝に認定される。
梨園の出でなく、少児麻痺の後遺症をリハビリで克服しています(その影響で左利き)。
他、数々の苦難を乗り越えて今日の地位を築きました。
2019年を最後に、地方での短期公演から引退し、近年では自身の勤めてきた大役を若手に継承しています。
そんな玉三郎氏の2年振りとなる南座の公演。
お着物で行ってみましょう!
一. 口上 二. 雪 三. 鐘ヶ岬
樂美術館 「玉水焼 三代」 ~8/22
楽焼は桃山時代、樂家初代長次郎によって始められました。
手とヘラのみを使う手捏ねという方法で形成され、削った跡がそれぞれの楽焼の特長となり、見所となります。
楽焼窯は加賀・大樋焼をはじめとする脇窯が各地で開窯。
その中で玉水焼は唯一、樂家の血筋を受け継いだ窯です。
玉水焼は、樂家四代一入の庶子・一元(1662?~1722)が山城国玉水村(現・京都府綴喜郡井手町玉水)において開いた楽焼窯です。
開窯は元禄年間だと言われています。
一元のあとを継いだ長男・一空は若くして亡くなり、次男・任土斎が三代を継ぎましたが、未婚だったため血筋は三代で絶えました。
その後は一元の時から手伝いをした伊縫家甚兵衛(楽翁)が四代を継ぎ、八代まで数えましたが明治に入って廃窯となりました。
そんな貴重な、一元から任土斎までの作品が展示されます。
玉水焼を取り上げるのは今回が初めてという画期的な展覧会です。
是非見てみたいと思いませんか?
山鉾の巡行がないのは残念ですが、他の貴重な展示や公演があるので楽しみですね!
京都では夏のイベントが沢山ありますので、是非足を運んでみてはいかがでしょうか?